噛む力で長くする健康寿命

2023.11.06

こんにちは、お口の学校です。 近年、健康寿命という言葉をよく耳にするようになりました。健康寿命とは2000年にWHOが提唱をしたもので、医療・介護の力を借りずに自立した日常生活ができる期間のことをいい、寿命に対する健康寿命の割合が高いほど寿命の質が高いと評価されます。簡単にいうと、加齢による筋力・身体機能の低下はあるものの、元気に過ごせる時間をたくさん持てるようにしましょうということです。近年の研究では健康寿命を長くするための要素として、噛む力も関わっていることがわかってきています。

噛む力の低下による悪循環

年を重ねると「噛む機能の低下」→「噛めない」→「柔らかいものを食べる」といった、ささいな口のトラブルから始まる悪循環が生じます。それが進むと「食欲・栄養状態の低下」「誤えん性肺炎」などが起こり、要介護や死亡にまでいたるのです。グッと噛みしめる瞬間の力だけが、噛む力ではありません。食物を噛み砕き、すり潰し、唾液と混ざり合わせて塊にして飲み込みやすくすることも含めて噛む力です。人の食べる行為の根源を支えており、口周りの筋力・機能の低下は体を作るエネルギーの摂取に大きく影響を与えます。特に高齢者においては、食べこぼし、軽いむせ、噛めない食品の増加など本人では気が付きにくい症状としても現れます。さらに好物が食べにくくなったり、口の中に痛みがあったりすれば食欲も低下します。そして噛む力の低下のうえに身体活動量の低下が加われば、ますます食欲は減退しエネルギー摂取量が少なくなります。買い物、調理などへの意欲も低下し、おかずの品数も減って栄養バランスも悪化し、質量ともに低栄養に陥りやすくなるのです。また、口腔機能の低下は単純に食べられなくなるだけではなく、滑舌にも影響を及ぼし人と会話をすることが億劫になってしまうこともあります。こうした社会的な側面なども含めて、オーラルフレイル(口腔の虚弱)という概念が注目を集めているのです。日本の地域在宅高齢者2000人を対象とした研究で、オーラルフレイルの人は健康な人に比べて死亡リスクが高まることや、要介護状態になりやすくなるということがわかっています。高齢者の場合、徐々に咀嚼(そしゃく)機能や嚥下(えんげ)機能が低下してくるため、無意識のうちに食べやすく飲み込みやすい食事ばかりを選びがちです。しかし、口の衰えに気づいたらむしろ意識的に咀嚼や唇、舌の運動を促すようなたんぱく質やビタミン、ミネラル、食物繊維といった栄養が豊富で噛む力が必要な食品を選択し、摂食嚥下機能に関わる筋力を維持回復させることが大切です。このような意識を持つことで、摂食嚥下機能だけでなく、全身の筋力や身体機能も維持でき外出や食事、会話を楽しめるようになり、社会参加への意欲も維持されます。

オーラルフレイルとは?

●オーラルフレイルについて

フレイルとは、健康な状態から要介護状態になる手前の段階のことです。支援は必要としないけれど筋力、認知機能などが以前より衰えてしまい、心身の活力が低下した状態をいいます。フレイルは筋力低下や運動機能の障害などの身体的要素、認知機能の低下や精神疾患などの精神・心理的要素、収入減少や交友関係の縮小などの社会的要素の3つの要因が影響して起こるといわれています。フレイルの状態をそのままにしておくと要介護状態になる危険性がありますが、日常の生活に気をつければ改善・回復することが可能です。フレイルのきっかけともなるささいな口の機能の衰えをオーラルフレイルと呼びます。症状としては、食べこぼし、軽いむせ、固いものが噛かみにくい、滑舌の悪化、口の中が渇くなどが挙げられます。

噛む・話すなどの口の機能は、全身の健康維持に重要な役割をもっています。噛む力を確保するためには、歯がしっかりと揃っていることが大切です。「外から見えにくいところなら、少しくらい歯がなくてもいいのでは?」と思ってしまいがちですが、歯を数本失うだけでも噛む・話すといった口の機能に影響が出てくるのです。歯には空いているスペースへ動いていくという性質があります。その特徴を利用して歯並びをきれいに整える矯正治療が行われるわけですが、何の計算もないまま抜けたままのスペースを放置していると、隣の歯が好き勝手に傾いたり移動してきたりします。その結果しだいに歯並びが悪化し、噛む機能にじわじわと悪影響を及ぼすのです。

●オーラルフレイルから誤嚥性肺炎へ…

ここ数年、感染症の予防にマスクを外せないでいますが、マスクでは予防できない肺炎があります。それは誤嚥(ごえん)性肺炎です。誤嚥性肺炎は、高齢者の死因の上位に位置する病気です。飲み込み方を誤って気管へ入ってしまい、むせたことはありませんか?むせているうちはまだ飲み込む機能が正常に働いているといえるのですが、加齢や病気の影響で飲み込む力が低下すると、むせることもできずそのまま誤嚥を引き起こします。そして、唾や食べ物のかけらと一緒に細菌が気管から肺へ侵入し、肺炎を引き起こすのです。

●オーラルフレイルから認知症へ…

よく噛む、咀嚼するという行為は脳に刺激を与え、活性化させる作用があります。専門機関による研究では、よく咀嚼することで人格・社会性・言語をつかさどる前頭部に15%もの血流増加が認められたと報告もあるほどです。噛めないままの状態を放置していると、健康な人でも集中力や記憶力の低下につながります。高齢になって噛む力が低下すると、なおさら脳への刺激が減ってしまい認知症への引き金となります。

●オーラルフレイルから転倒リスクへ…

近年注目されているオーラルフレイルと健康寿命の関係については全世界で多くの研究や調査が進んでいます。その中でも、噛めないままの状態を放置していると転倒しやすくなるという調査結果は見逃せません。歯がないのに入れ歯などの義歯を使用していない人の方が、入れ歯をきちんと使用している人よりも転んでけがをしやすくなるというのです。高齢になって転倒して骨折すると、それから寝たきりになってしまうケースも珍しくないでしょう。健康寿命を延ばしていつまでも快適な暮らしを楽しむためにも、たかが口の中のことと軽視せず口の機能オーラルフレイルが衰えないようケアをしましょう。

●オーラルフレイルのセルフチェックリスト

もし1つでも当てはまる項目があれば、フレイルやオーラルフレイルの兆しかもしれません。外出の機会を増やし、社会的な活動を心がけ、快活な生活を送ってください。また、歯科の受診や口腔ケアの指導などを受けるなどして口の健康に努めましょう。当てはまる項目がなかったとしても、油断は禁物です。健康維持のための口の役割を理解して、普段からしっかり噛むことを意識しましょう。

オーラルフレイルケア予防のために

  • (1)食事環境の改善

全身的なフレイルの改善のために筋肉量を維持・増加させるには、肉や魚といったたんぱく質の摂取が必須です。脂肪の少ない赤身の肉や魚を大きな塊で食べると、噛む回数が増え口腔機能の訓練にもなります。また、豆腐や納豆などの大豆食品もたんぱく質が豊富なのでおすすめです。特に納豆は、整腸作用もあるので便秘による食欲低下を防ぐことも期待できます。次に、食物繊維の豊富な野菜の摂取を心がけることも、噛む力を鍛えるだけでなく便秘による食欲低下を改善し、高齢者に不足しがちなビタミンの補給にもつながります。高齢者は一度に食べられる量が減少しがちなので、間食を摂ることも大切です。果物や牛乳、ヨーグルトなどを摂取すると、食物繊維、たんぱく質、ビタミン、ミネラルを補うことができ、摂取する食品の種類が増えるとともに、食事の量と質が改善し低栄養の回避につながります。

  • (2)発声練習

口の周りの筋肉を動かすエクササイズも重要です。というのも、私たちが食事をする際に無意識に行っている噛んで飲み込むという動作は、唇や口輪筋、舌、頬、顎などの筋肉を総合的に使っているからです。口周りの筋肉を鍛えるエクササイズはいろいろありますが、その中でもおすすめなのが誰でも簡単にできる「パタカラ体操」です。「パ」「タ」「カ」「ラ」をそれぞれ5回、「パタカラ」をつなげて5回、大きな声で発音します。できるだけ意識して唇や舌を動かして発声するのがポイントです。はじめのうちは、ゆっくり、はっきり、大きく口を動かして発音することを心がけ、慣れてきたらだんだん速くしていきましょう。このエクササイズを継続して行うことで、唾液の分泌が増え、唇や舌の運動能力も高まります。そして、しだいに口の周りの筋肉もほぐれて、スムーズに食べ物を飲み込めるようになります。

  • (3)食欲の維持

フレイル予防には、食欲を維持することも重要なポイントです。噛みごたえのある食材を避け、柔らかい物ばかり選んで食べることは、噛む力が衰えるだけでなく食べたいものが食べられなくなり、食欲を落とすことにつながります。これは高齢者に限った話ではありません。噛まずに嫌いになることが食わず嫌いにつながり、食事のバリエーションを狭めてしまうのです。日本のような豊かな食文化がある国に住んでいる者にとって、それはとても残念なことです。また、噛むことのメリットは味や食感が得られるだけではありません。噛んでいるときも、口と鼻の間で空気は行き来しています。流動食を飲み込むときは鼻への通路が塞がるので、香りは鼻へ抜けません。噛むからこそ香ばしさなどの風味と味、食感を同時に感じることができ、食事をより深く美味しく楽しむことが出来るのです。よく噛むことで味や食感、風味など、より多くの快感が脳に深く入力され、また食べたいという食欲につながります。外出することや人と会話することは、記憶力や注意力などを必要とする知的な活動です。食欲を維持することは身体のフレイルを防ぐだけでなく、知的な活動を増やして認知機能低下の抑制にもつながるのです。

噛む力で長くする健康寿命

噛む力の低下は、全身にどのような影響を与えるのでしょうか?日本人の死因の上位を占めるのが、がん、そして心疾患・脳卒中などの脳血管障害です。また、要介護状態になる原因についても最も多いものの一つが、脳血管障害です。つまり動脈硬化などの血管系障害があると、死ぬリスクが高まり介護状態にもなりやすいのです。現在のような超高齢化社会では、単に長生きするのが目的ではなく、健康で長生きすることが重要になっています。健康寿命を延ばして、介護期間を短くすることが社会全体の課題といえます。噛む力が低下すると、食物繊維が多くて歯ごたえのある食品を避ける傾向があります。 逆に、軟らかいごはんやパン、麺など炭水化物の摂取量が増え、肥満になる割合が高まります。その結果動脈硬化を起こしやすくなるのです。また、噛みごたえのある肉を食べなくなると、たんぱく質の摂取量が減ります。たんぱく質には筋肉をつくるアミノ酸が多く含まれているので、摂取不足になると運動機能の低下も起こります。その結果転倒しやすくなったり、骨折しやすくなったりし、関節系の疾患にもつながります。栄養のある物をきちんとよく噛んで食べることができれば、要介護状態になるリスクを大きく低減できます。食べて適度な運動をするのが一番です。 口腔ケアをしっかりと行い十分に咀嚼できるようになれば、噛む力が上がって食生活も変化するでしょう。その結果、介護状態になる要因が減るので、健康寿命が延びると考えられます。いろいろな物が食べられるようになると、咀嚼能力はさらに向上します。高齢者でも筋肉を維持するためには、若者と同じ量のたんぱく質の摂取が必要です。それを摂れるだけの噛む力を保っていなければなりません。噛めるから大丈夫と思っている若い人も、肉類だけでなく緑黄色野菜や小魚・青魚も食べる食生活を心がけましょう。それが健康寿命を延ばし、歳を重ねても生活の質を維持することにつながるのです。

自分の歯で噛んで咀嚼すると食べ物のうま味をグンと引き出せるので、食事のおいしさが倍増します。お口が健やかだからこそ、人と会い、笑い、会話を楽しみ、人生の幸福度が高く保てるのです。生きがいを支える歯やお口の健康を維持していくためにも、今回ご紹介したオーラルフレイルケアを続けてみてください。